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音楽の所有から消費へ~失われゆく人間の感性を考える~

札幌市南区芸術の森・石山東地区で、スタインウェイピアノ教室を主宰する、西岡裕美子です。

デジタル化の波は、私たちの音楽との関わり方を根本から変えました。

SpotifyやApple Musicといった音楽ストリーミングサービスの普及により、世界中の音楽に瞬時にアクセスできる時代となりました。

一見、これは文化的な進歩のように思えます。

しかし、この「音楽の消費化」は、私たちの感性や人間性に深刻な影響を及ぼしているのではないでしょうか。

目次

消費される音楽、消える感動

かつて人々は、一枚のレコードやCDを何度も繰り返し聴き、その中に新しい発見を見出していきました。
ジャケットを眺め、歌詞カードを読み込み、音楽と深く向き合う時間を持っていました。
それは単なる「音楽を聴く」という行為を超えた、精神的な体験だったのです。

しかし今、音楽は「消費財」と化しています。
気に入らない曲は即座にスキップされ、プレイリストは「BGM」として流され続けます。
このような音楽との関わり方は、私たちの感性を確実に鈍らせています。
感動する力が、静かに、しかし確実に失われているのです。

デジタル時代の共感力の低下

より懸念すべきは、この「消費型リスニング」が若い世代の共感力にも影響を与えているということです。
音楽は本来、作曲家や演奏家の感情や思いを伝える媒体でした。
しかし、音楽を「使い捨ての商品」として扱うことで、その中に込められた人間の感情や魂に触れる機会が失われています。

音楽をストリーミングで気軽に聴けるようになったことで、一つの曲じっくりと向き合い、深く理解しようとする機会が減少している可能性があります。
これは、人間同士の感情的な結びつきの希薄化にも繋がりかねない現象です。

演奏という人間回帰

このような状況だからこそ、「自分で演奏する」という行為は、かつてないほどの重要性を帯びています。

ピアノの前に座り、一つの曲と真摯に向き合う時間を持つこと。
指先から伝わる鍵盤の感触、音の振動、そして何より、楽曲に込められた作曲家の想いに直接触れること。
これらの体験は、デジタル化された音楽では決して得られない、深い人間的な経験なのです。

私たちの教室に通う生徒さんたちを見ていると、演奏を通じて確実に変化が起きていることがわかります。
例えば、ショパンのノクターンを練習する中で、その繊細な感情表現に心を震わせる瞬間。
バッハのフーガで複数の声部が織りなす対話に気づき、目を輝かせる瞬間。
これらは単なる「音楽的成長」を超えた、人間としての感性の復活と言えるのではないでしょうか。

人間性を取り戻すために

私たちは、便利さと引き換えに大切なものを失いつつあります。
音楽をストリーミングで聴くこと自体は否定されるべきではありません。
しかし、その便利さに埋没し、深い音楽体験から遠ざかることは、私たちの人間性を確実に損なっていきます。

だからこそ今、「演奏する」という原点に立ち返る必要があるのです。
それは単なる趣味や技術の習得ではありません。
失われつつある感性を取り戻し、人間としての豊かさを回復する道なのです。

おわりに

技術の進歩は止められません。
しかし、その中で私たちは何を守り、何を大切にしていくべきなのか。
音楽教育に携わる者として、この問いを常に心に留めています。

便利な時代だからこそ、あえて「不便」を選ぶ勇気も必要です。
一つの曲と真摯に向き合い、自分の手で音を紡ぎ出す。
その過程で、私たちは失いかけた大切なものを、確実に取り戻すことができるはずです。